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大阪府北部を震源とする地震の発生から6年の月日が経ちました。
この地震では、本市で2人の尊い命が失われ、多数の負傷者や建物の損壊など、甚大な被害を受けました。私は、「この教訓を風化させてはならない」との決意を日々思い起こし、被災地の長として、災害に強いまちづくりに邁進してまいりました。
この6年間には、学校のブロック塀は全て撤去を完了し、第三中学校区では全校がセーフティプロモーションスクールの認証を取得したほか、受援計画の策定、地域住民主体の避難所運営マニュアルの整備、市民防災協議会の発足などにも取り組んできました。
また、今年1月に発生した能登半島地震を含め、各地で発生した大規模災害には迅速に職員を派遣し、被災地の支援にも積極的に取り組んできました。このことは、府北部地震を経験していない職員も増える中、本市の災害対応力の維持・向上にもつながっています。
毎年、繰り返し申し上げていることではありますが、防災の取り組みにゴールはありません。今後も、わがまち高槻を災害に強い「強靭なまち」とするため、全力を注いでまいります。
濱田剛史