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29.開校150周年を迎える小学校
明治維新後、富国強兵を進める政府は教育の近代化のため、明治5(1872)年、学校制度に関する「学制」を公布しました。
これにより、男女共に6歳になると小学校で学ぶことが定められました。
その後、府県単位で学区を区割りするなどの準備が進められ、翌年の明治6(1873)年から、全国で小学校が開校しました。
高槻市域では、明治6年3月に高槻小学校と五領小学校が開校したのが最初です。さらに、7月に富田小学校、12月に芥川小学校が開校し、翌年には樫田、如是、三箇牧の各校が開校しました。
令和5(2023)年から令和6(2024)年にかけて、これらの小学校は開校150周年を迎えます。
当時、小学校は村ごとに設立されました。
運営費用を村が負担しなければならなかったため、授業料の他にも村の各戸に負担金が課せられました。
また、子どもが働き手であった家庭も多く、地域の経済的な負担は大きいものでした。
教員には、幼少の頃より藩校で教育を受けてきた旧高槻藩士が多く採用されました。
また準備期間が短かったため、小学校の多くがお寺を仮校舎として開校にこぎ着けました。
富田小学校は本照寺(富田町)、高槻小学校は円成寺 (京口町)でした。
高槻小学校は間もなく、かつては米蔵で、廃藩後に藩校を引き継いで旧藩士子弟の教育に使用されていた建物に移転しました。
芥川小学校は、始め万福寺(紫町)を仮校舎としましたが、火災にあったため、同地に校舎を新築。
昭和9(1934)年に真上町の現在地に移転し、その跡地には旧校地での最後の卒業生によって石碑が建てられました。
芥川小学校開校の地に建つ石碑(紫町)