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年表

ページID:034269 更新日:2025年3月31日更新 印刷ページ表示
 
西暦・年号 日本のできごと 高槻のできごと 高槻の文化財
(旧石器時代) 大陸と地続きの古本州島で、人々は獲物を追って移動しながら生活する 二上山サヌカイト製の石器を使う小集団が、富田台地でキャンプ生活を送る 郡家今城遺跡(旧石器時代)、津之江南遺跡、塚原遺跡
(縄文時代) 土器が発明され食生活が一変、定住生活はじまる 芥川東岸に縄文人がムラを営む 芥川遺跡
(弥生時代)

稲作と金属器をたずさえた人々が日本列島に到来し、北部九州に弥生文化が成立する

 

 

 

 

 

三島地方に稲作技術をもつ人々が到来。安満に環濠をそなえるムラをひらき、米づくりをはじめる

洪水が襲うも安満ムラは拡大、周辺にもムラができる

安満ムラ北方の丘陵上に大環濠がめぐる集落ができる

芥川河口に近い芝生ムラで青銅器生産が行われる

鉄器を入手した人々が集落を拡大する

安満遺跡

津之江南遺跡、天神山遺跡、成合遺跡

古曽部・芝谷遺跡

芝生遺跡

郡家川西遺跡、大蔵司遺跡

239 邪馬台国女王卑弥呼、倭国王として魏に遣使 銅鏡百枚などをもらう

 

 

250?   安満ムラのリーダーが魏の銅鏡をもらう ムラを見下ろす安満山の中腹に墓をつくる 安満宮山古墳
(古墳時代)  

芥川西岸の奈佐原丘陵に歴代の三島の王墓がつくられる

四国吉野川の石材を大量に使用した古墳が、淀川周辺にいくつもつくられる

富田台地上に地域の首長墓等がつくられる

弁天山古墳群
岡本山古墳弁天山古墳

闘鶏山古墳

郡家車塚古墳、前塚古墳

450? この頃、倭の五王が中国に使いを遣る 太田茶臼山古墳が築造され、土室に埴輪工場ができる 新池遺跡、土保山古墳
507 継体大王樟葉宮で即位     
  磐井の乱(527-528)を鎮め、大王権力が強まる   伝・筑紫津
531 継体25年・安閑元年   継体大王が没し三島の藍野陵に葬られる 今城塚古墳
   

新池埴輪窯が増設されて今城塚古墳の埴輪をつくる

猪狩りの様子をあらわす埴輪群像が古墳に並ぶ

服部に本拠を置く麻羅宿祢が、全国の織部を統率したと伝える

地域の有力者層が群集墳を形成

 

昼神車塚古墳

服部連塚・塚脇古墳群

塚原古墳群、安満山古墳群

593 推古元年 聖徳太子、摂政になる 
飛鳥地域に宮都が置かれる 
   
644 皇極3年   中臣鎌足、三島の別邸に移る  
645 皇極4年・大化元年 中大兄皇子・鎌足らが蘇我氏を滅ぼす(乙巳の変、大化改新のはじまり)    
669 天智8年   中臣鎌足、天智天皇から大織冠・内大臣に任ぜられ、藤原姓を賜る。翌日に死去 阿武山古墳
672 壬申の乱で大海人皇子が勝利し、近江から飛鳥へ宮をうつす    
701 大宝元年 大宝律令できる    
    三島郡が嶋上郡と嶋下郡に分郡 嶋上郡に濃見・児屋・白髪・服部・高上の5郷が置かれる 
三島県主一族などが郡司となり、都と大宰府を結ぶ山陽道に面して郡衙(郡役所)・郡寺が設けられる  
嶋上郡衙跡、芥川廃寺
710 和銅3年 藤原京から平城京へ都がうつる    
    市東部・五領に山陽道の大原駅家が置かれる 梶原南遺跡、津之江南遺跡、郡家今城遺跡
735 天平7年   「天平七年閏十一月三日」と記した木簡が上田部遺跡から出土 上田部遺跡(奈良時代)
752 天平勝宝4年 東大寺で大仏開眼供養会    
757 天平勝宝9年   摂津職の命で梶原寺が東大寺へ瓦を納入 梶原寺跡・同瓦窯跡
      郡家今城遺跡(奈良時代)
762 天平宝字6年  

正三位神衹伯・石川年足が都で死去、遺灰が金銅製の墓誌をそえて真上の酒垂山に葬られる

石川年足墓誌
    このころ、市北部の山間に、開成皇子らの創建伝承をもつ寺院が成立 安岡寺神峯山寺本山寺、霊山寺
784 延暦3年 長岡京へ都がうつる    
790 延暦9年   阿倍兄雄、安満寺を創建  
794 延暦13年 平安京へ都がうつる    
894 寛平6年 遣唐使を廃止    
    このころ服部神を神服神社とあらためる 神服神社
927 延長5年 『延喜式』完成    
    千観、安満寺を金龍寺とあらため日想観を修める 金龍寺跡
993 正暦4年   大宰府で没した菅原道真に、勅使が赴き正一位を遺贈した帰途、菅原氏の祖・野見宿祢ゆかりの地で道真を祀る 上宮天満宮
1185 文治元年 守護・地頭の設置    
1192 建久3年 源頼朝、征夷大将軍になり鎌倉幕府ひらく    
1195 建久6年   安満の鎮守・磐手杜神社を後鳥羽天皇が訪れる

 

  北条氏の執権政治はじまる    
     

宮田遺跡

上田部遺跡(鎌倉時代)

1333 元弘3年・正慶2年 鎌倉幕府ほろぶ    
        建武の親政(1334-36)
南北朝分裂
   
    入江春則、高槻城に入る  
1338 延元3年・暦応元年 足利尊氏、征夷大将軍になり、室町幕府ひらく    
1392 元中9年・明徳3年 南北朝の合一    
1467 応仁元年 応仁の乱(-1477)    
1476 文明8年   このころ、本願寺八世蓮如、富田道場(のちの教行寺)を創建
富田寺内町の始まり
教行寺
1516 永正13年   このころ室町幕府管領で摂津国守護の細川高国、芥川城を築城 芥川城跡
1532 天文元年   法華一揆、富田道場など焼き討ち 富田遺跡
1549 天文18年   三好長慶、江口の戦いで細川晴元軍を撃破  
  フランシスコ・ザビエル、キリスト教をつたえる    
1553 天文22年   長慶、芥川城へ入城  
1559 永禄2年   郡家・真上の水論おこり、長慶が裁定 三好長慶水論裁決状
1560 永禄3年   長慶、河内飯盛城へうつり、三好義興が芥川城主となる  
1563 永禄6年   三好義興、芥川城にて没す・細川晴元、普門寺にて没す  
1568 永禄11年   足利義栄、第十四代室町幕府将軍に就任
足利義昭・織田信長、芥川入城後に入洛
和田惟政、芥川城主となる

普門寺

 

1569 永禄12年   惟政、高槻城へ居城を移し、高山飛騨守・右近父子が芥川城を預かる 高槻城跡
1571 元亀2年   惟政、白井河原(茨木市)の戦いで敗死
和田惟長、高槻城主へ
 
1573 天正元年   高山父子、惟長を追放 右近城主となり高槻城の整備が開始される  
    織田信長・将軍足利義昭を追放する  
1574 天正2年   このころ、飛騨守、城内に天主教会堂を建立し家臣・領民へキリスト教を広める 京の数珠職人を呼びロザリオをつくらせ教徒へ配る 高山右近高槻天主教会堂跡、高槻城キリシタン墓地
1578 天正6年   荒木村重、信長へ謀反、右近は村重方となる  
    織田信長、安満に布陣、右近投降  
    このころ右近、検地(土地調査)を行う 天川水帳
1581 天正9年   巡察師ヴァリニャーノを迎え高槻で復活祭挙行  
1582 天正10年 本能寺の変で信長没す
太閤検地はじまる
秀吉、山崎合戦前夜は富田に泊まり、当日は天神の馬場に本陣を置くと伝わる
セミナリヨを安土から移築

伝秀吉本陣跡

 

1585 天正13年   右近、明石へ転封
秀吉の養子・羽柴小吉秀勝が高槻城主になる
 
  秀吉、関白になる    
1587 天正15年 バテレン追放令    
1590 天正18年 秀吉、全国統一    
1594 文禄3年   市内各村で検地 富田村(奉行浅野長政)、芥川村(同片桐且元)など 富田村文禄検地帳、芥川村文禄検地帳、高槻村文禄検地帳
1595 文禄4年   新庄直頼、高槻城主になる  
1596 文禄5年   伏見地震で京・大坂で甚大な被害
今城塚古墳でも地滑り発生、内濠の大半が埋まる
 
1600 慶長5年 関ヶ原の戦い 新庄直頼、西軍に属する
富田の紅屋、徳川方に協力し酒造業の営業特権がみとめられる
 
    高槻には徳川家康配下の代官がはいる  
1603 慶長8年 家康、征夷大将軍になり江戸幕府をひらく    
1609 慶長14年   淀川大塚堤、決壊
このころまでに山崎通に一里塚を整備
西国街道芥川一里塚
1614 慶長19年 大坂冬の陣    
1615 元和元年 大坂夏の陣、豊臣家滅亡 内藤信正、高槻城主になる  
1617 元和3年   土岐定義、高槻城主になる
高槻城の公儀修築が開始
龍渓、富田普門寺の住持となり約40年をかけて方丈(1621年移築)、枯山水庭園(玉淵坊作庭)などを整備

近世高槻城跡

 

1619 元和5年   土岐定義没
松平家信、高槻城主となる
霊松寺
1636 寛永13年   岡部宣勝、高槻城主になり出丸を築く  
1640 寛永17年   松平康信、高槻城主となる  
1649 慶安2年   永井直清、高槻城主になる
兄・尚政は淀川上流の淀藩主
 
1650 慶安3年   直清、能因法師墳に顕彰碑を建立 伝能因法師墳
1651 慶安4年   直清、伊勢寺に顕彰碑を建立
番田井路を掘削
 
1655 明暦元年   明僧隠元、宇治萬福寺をひらくまで普門寺に滞在  
1661 寛文元年   龍渓、景瑞庵を再興し慶瑞寺とあらためる  
1716 享保元年 享保の改革(徳川吉宗-1745)    
1734 享保19年   西国街道芥川宿の絵図が描かれる 芥川宿絵図
1787 天明7年 寛政の改革(松平定信-1793)    
1788 天明8年   このころ宮田半平、城山で寒天づくりをはじめる 宮田半平の顕彰碑
1793 寛政5年   九代藩主・直進、初代直清をまつる永井神社を現在地に造営  
    藩校・菁莪堂が開設され、藩士の子弟を教育(-1868)  
1797 寛政9年   このころ五十嵐新平、古曽部焼をはじめる 古曽部窯跡
    本居宣長『古事記伝』継体陵は現陵(太田茶臼山古墳)を支持  
1802 享和2年   淀川大洪水  
    十返舎一九『東海道中膝栗毛』に三十石船、くらわんか舟が登場  
1820 文政3年   石川年足墓みつかる  
1837 天保8年 大塩平八郎の乱がおこる    
1841 天保12年 天保の改革(水野忠邦-1843)    
1843 天保14年   都春、玉川の里に芭蕉句碑を建てる  
1844 嘉永2年   山藤辰政、文塚の顕彰碑を建てる  
1853 嘉永6年 ペリー艦隊、浦賀へ来航    
1861 文久元年   幕府が梶原台場の建設着工、設計責任者は勝海舟 梶原台場跡
1863 文久3年   八月十八日の政変・三条実美ら一行「七卿落ち」が芥川宿で一泊  
1864 元治元年 禁門の変    
1866 慶応2年   高槻藩士で漢詩人の藤井竹外没す  
1867 慶応3年 大政奉還 長州上洛に対し高槻藩は籠城、津藩が守る梶原台場が対応  
1868 明治元年   戊辰戦争・鳥羽伏見の戦いの際、梶原台場の津藩兵が高浜から淀川対岸の楠葉の旧幕府勢に砲撃を加える
淀川堤防決壊し、高槻大水害
 
1869 明治2年 版籍奉還    
1871 明治4年 廃藩置県    
1872 明治5年   ゴーランドが造幣局技師として来日し、塚原古墳群などを調査する  
1873 明治6年   高槻・五領・芥川・富田の各小学校開校  
1874 明治7年   高槻城破却  
1877 明治10年 京都・大阪間の鉄道開通(大阪・高槻間は前年開業) 枚方方面の郵便物は渡し舟で淀川渡河  
1885 明治18年   淀川堤防決壊し、高槻大水害  
1889 明治22年 大日本帝国憲法発布 町村制施行で高槻は島上郡高槻村となる  
1894 明治27年 日清戦争(-1895)    
1896 明治29年   淀川改修工事着工(-1910)  
1898 明治31年   高槻村、高槻町となる
人口約3千人
 
1904 明治37年 日露戦争(-1905)    
1909 明治42年   高槻町、旧高槻城内へ工兵第四大隊を誘致 旧陸軍工兵隊の営門
1917 大正6年   大塚で淀川堤防決壊「大塚切れ」  
1928 昭和3年 新京阪鉄道(現阪急)開業 京都帝国大学農学部附属農場開場  
1930 昭和5年   大阪高等医学専門学校(現大阪医科薬科大学)、高槻にヴォーリズ設計の本館・病棟を開設 大阪医科大学看護専門学校校舎
1931 昭和6年   4町村と合併「大高槻町」誕生、人口約2万1千人  
    富田の行信教校、講堂改築 行信教校講堂
1933 昭和8年   京都帝国大学地震研究所 阿武山地震観測所完成  
1934 昭和9年   同観測所の施設拡充工事で阿武山古墳発見される  
1943 昭和18年   高槻市、府内9番目に市制施行
人口約3万1千人
 
    高槻絹糸移転跡地へ、川崎航空機明石工場が疎開  
1954 昭和29年   日の出バスを買収し高槻市営バス開業  
1956 昭和31年   富田町合併  
1958 昭和33年   樫田村を合併、現在の市域となる  
1963 昭和38年   名神高速道路が開通
市の人口10万人を突破
 
1971 昭和46年   現在地に市役所本館開庁  
1973 昭和48年   人口30万人突破  
1975 昭和50年   埋蔵文化財調査センター開設  
1982 昭和57年   歴史民俗資料館、城跡公園(現高槻城公園)内に開館  
1995 平成7年 阪神・淡路大震災 史跡新池ハニワ工場公園を開園  
1998 平成10年   萩谷総合公園・安満宮山古墳を開園  
2003 平成15年   大阪府内2番目の中核市になる
しろあと歴史館を開館
 
2011 平成23年   今城塚古墳と今城塚古代歴史館、「いましろ 大王の杜」として公開  
2018 平成30年 大阪北部地震    
2021 令和3年   安満遺跡公園、全面開園  
2022 令和4年   芥川城跡が国の史跡に指定