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伝能因法師墳
名称 | 伝能因法師墳(でん のういんほうし ふん) |
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所在地 | 高槻市古曽部町三丁目 |
交通 | JR高槻駅から北西へ徒歩約20分 |
時代・概要 | 平安時代 墳墓 |
備考 | 「伝能因法師墳附文塚、不老水、花の井」として 昭和60年7月、市の史跡に指定 |
能因顕彰碑
能因塚の名で親しまれる伝能因法師墳は、平安時代中期の歌人、能因法師の墓と伝えられています。
能因法師は、本名を橘永(たちばなのながやす)といい永延2年(988)長門守橘元の子として生まれました。女流歌人伊勢(939?没)の作風を慕いつつ、当時の第一人者藤原長能に歌道を学び作歌に励んだといいます。
墳墓正面の顕彰碑は、慶安3年(1650)、高槻城主永井直清が建立しました。碑文は儒学者の林羅山によるもので、周辺には能因法師の吟稿を埋めたと伝えられる文塚や、名水の井戸として名高かった不老水、花の井があります。