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28.芥川城に滞在した信濃国守護・小笠原氏

ページID:114642 更新日:2023年6月23日更新 印刷ページ表示

市内北部・三好山の芥川城を居城とした戦国武将・三好長慶の元にはさまざまな人が訪れました。
その中に信濃国(長野県)の守護を務めた小笠原長時がいました。
長時は甲斐国(山梨県)の武田信玄に敗れて信濃国を追われ、天文19(1550)年に長慶を頼り芥川城に身を寄せました。
三好氏の本家が小笠原氏とされたことから 長慶は長時を厚遇したようです。

原の本山寺には永禄4(1561)年に長時と子の貞慶(貞虎)が出した古文書が残されています。
長時は、信濃への帰国が叶うよう、本山寺に祈とうを依頼しています。
一方、貞慶は「下国する(他国へ赴く)ので、思いどおりにいくように」と、祈とうを依頼しまし た。「下国」とは何を指すのでしょうか。
同じ頃、室町幕府将軍・足利義輝が越後国(新潟県)の上杉謙信へ長時の帰国を助けるよう命じる手紙を出しています。
このことから、貞慶は将軍の手紙を携えて謙信の元へ「下国」したと考えられます。
将軍の命を受けた謙信は、同年の秋に出陣し、武田信玄の軍勢と刃を交えました。
これが有名な川中島の戦い(第4次)です。
この時も、長時の帰国は実現しませんでした。

永禄11(1568)年に織田信長が上洛し、三好氏が衰退すると、長時は越後国や会津国(福島県)に移ります。
しかし、家臣に殺害され、帰国の願いは絶たれました。
一方、貞慶は信長上洛後、京都に滞在し、のちに徳川家康の元で府中(長野県松本市)を奪還。
小笠原家の再興を果たしました。

小笠原氏の古文書
小笠原貞慶が本山寺に祈とうを依頼した古文書(本山寺蔵・当館寄託)