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31.永井直清の武功を物語る甲冑

ページID:114965 更新日:2023年9月22日更新 印刷ページ表示

大坂夏の陣が決戦を迎えようとしていた慶長20(1615)年5月7日、豊臣方が仕掛けた大攻勢を迎え撃つ将軍徳川秀忠の軍勢の中に、後に高槻藩主となる若き日の永井直清(なおきよ)の姿がありました。
直清は当時25歳で、秀忠の旗本でした。
豊臣方は猛攻を重ねて秀忠の本陣近くまで迫り、秀忠の旗本衆は防戦に追われます。
この激戦の中で直清は鎧武者を2人討ち取りました。
戦局は、数で勝る徳川方が巻き返して大坂城内へ攻め入り、大坂城は落城したのです。

戦後、直清はこの武功により530石を授けられました。
その後も功績を重ね、慶安2(1649)年に59歳で石高3万6千石を有する高槻藩主となりました。
以降永井家は、明治4(1871)年の廃藩置県まで13代にわたって高槻藩主の座に就きました。

大坂の陣で直清が着用した甲冑は、野見神社(野見町)の境内に建つ、永井神社に伝来しています。
同社は寛政5(1793)年に直清を祭神として創建され、甲冑は明治時代に永井家から奉納されました。

この甲冑は、当世具足(とうせいぐそく)と呼ばれる機能的な実戦向きの形式です。
胴を黒漆と朱漆で塗り分け、胸の部分と腰回りの草摺(くさずり)、両腕の籠手(こて) には金箔を貼った華やかな色彩です。
黒漆塗の兜には、徳川家の旗本であることを示す「金の輪貫(わぬき)」の前立が掲げられています。

現在、全国に数多くの甲冑が伝来していますが、所有者が判明し、なおかつ実戦で使用されたことが確実なものは少ないため、貴重です。
永井神社に伝来する直清ゆかりの品々とともに、市の指定文化財になっています。

永井直清が着用した甲冑
永井直清が着用した甲冑 (野見神社蔵)