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26.安満遺跡と弥生土器
安満遺跡は1928(昭和3)年に京都大学の農場設置に伴う工事中に、土器や石器が出土したことから存在が明らかになりました。これまでの調査で見つかった弥生時代の環濠、水田、方形周溝墓は、居住域、生産域、墓域に対応し、弥生時代の集落の様子をよく表しています。
一方で遺跡から見つかる土器の形や文様の違いは、遺跡の時期を知るための重要な手がかりになります。しかし、安満遺跡の発見当初は弥生土器研究が発展途上であったため、見つかった土器が弥生時代の中でいつ頃のものかを判断することができませんでした。
1932(昭和7)年に考古学者の小林行雄氏は、安満遺跡のヘラで描いた直線や曲線などシンプルな文様で飾った土器が、北部九州の弥生時代前期の土器によく似ていることを発見しました。一足先に歩み始めた北部九州の弥生土器研究との比較から、安満遺跡の土器が弥生時代前期のものだと分かったことで、近畿地方の弥生時代前期の様相が明らかになる端緒となりました。
さらに当時は、稲作が弥生時代の始まりを特徴づける要素と考えられ、大陸から北部九州に伝わった稲作が日本列島で普及する過程に関心が寄せられていました。安満遺跡で前期の土器が見つかったことにより、この時期には近畿地方まで稲作を行う文化が伝わっていたことが明らかになりました。集落遺跡として重要な安満遺跡ですが、見つかった土器もまた研究の発展に役立っています。
(埋蔵文化財調査センター)
安満遺跡の弥生土器小型壺