本文
6.高槻出身説が有力な松永久秀
戦国時代の有名な人物と高槻との接点を取り上げます。戦国武将の松永久秀です。
久秀は、主君の三好氏や将軍足利義輝を殺害し、東大寺の大仏殿を焼いた戦国時代有数の悪人とされてきました。
しかし悪行に関する逸話には後世に誇張や創作されたものが多く、現在は、史実に基づく再評価が進んでいます。
松永久秀像(しろあと歴史館蔵)
久秀の出身地はこれまで、山城国西岡(京都府向日市・長岡京市)や阿波国(徳島県)、摂津国東五百住(本市東五百住町)など、複数の説がありました。そして近年の研究により、東五百住の土豪の出身とする説が最も有力視されるようになりました。江戸時代に郡家村と東五百住村の境界を確認するために作られた絵図に「松永屋敷跡畑田」と記された、堀に囲まれた一画が描かれています。
絵図に記された「松永屋敷跡畑田」(郡家財産区管理会蔵、しろあと歴史館寄託)
江戸時代に人気のあった観光案内書「摂津名所図会」にも、「松永久秀故居」が同村にあると載るなど、久秀の屋敷跡に関する記述は複数の絵図や地誌に記されています。
また、かつて高槻町には久秀が鼓を埋めたという「鼓塚」があり、現在は跡地が「高槻まちかど遺産」に指定されています。
江戸時代には、久秀は悪人とみなされていたにも関わらず、彼の伝承が高槻市内に数多くあることが注目されます。地元ゆかりの武将の記憶が、人々に引き継がれていたのでしょう。