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「高槻 まちかど遺産」高槻市南部

ページID:004603 更新日:2023年8月1日更新 印刷ページ表示

市では平成24年度から、生活に密着したまちかどの文化財や歴史などを市民のみなさまから公募、「高槻 まちかど遺産」として選定し、高槻市南部では13ヵ所に説明板を設置しています。
ウォーキングの途中などにご覧いただき、「歴史のまち たかつき」を感じてみてください。

「高槻 まちかど遺産」の一つ「段倉」の画像

 

番号

まちかど遺産名

説明板
所在地

ひとこと紹介

1

春日神社のだんじり(野田)

野田
1丁目12-2

野田地区に伝わる慶応4年(1868)製作のだんじりで、武者などの彫物が見事。
秋祭りには境内で披露される。

2

春日神社のだんじり(東天川)

東天川
1丁目35付近

東天川地区に伝わる嘉永6年(1853)製作のだんじりで、彫物や飛龍の金細工が見事。秋祭りには境内で披露される。

3

春日神社のだんじり(前島)

東天川
1丁目35付近

前島地区に伝わる嘉永7年(1854)製作のだんじり。精緻な彫物が見事。
秋祭りには前島の倉庫前で披露される。

4

大道法師足跡塚

藤の里町
29

かつては塚の上に、巨大な足跡のある石があったという。現在は、文化8年(1811)に建立された石碑が残る。

5

枚方街道の道標
(※現在撤去されています)

須賀町
47-13付近

明治42年に大阪府が建てた道標。芥川宿と大塚の渡し場を結んだ枚方街道と、前島・上牧への道が交わる場所に建つ。

6

大塚の地名伝承・「大塚殿」

大塚町
2丁目31

平安時代、清和上皇が忘れた冠を、村人が塚に埋め祀ったとの伝承が残る神社。この塚が「大塚」の地名の由来になったともいわれる。

7

大塚・淀川河川敷の道標

大塚町
3丁目35-13付近

明治時代に大阪府が建てた道標。かつては枚方との間を結んだ大塚の渡し場にあり、枚方街道・茨木街道などを案内していた。

8

段倉

唐崎中
1丁目

水害などから財産を守るため、敷地をかさ上げした上に建てられた土蔵。数棟が階段状に並ぶものもあり、市内では唐崎の段倉がよく知られる。

9

茨木街道の道標

唐崎中
4丁目10-1付近

明治43年に大阪府が建てた道標。
大塚の渡し場と茨木方面を結んだ茨木街道と三島江方面への道が交わる場所に建てられた。

10

中田屋治兵衛紀功碑

西面北
2丁目7付近

明治時代、西面産の米を標準米として提供し続けた商人・中田屋治兵衛への感謝のしるしとして大阪堂島米穀取引所から贈られた石碑。

11

筑紫津

津之江
1丁目27-1付近

平安時代の雅楽に詠われた淀川中流域の河津(港)。その正確な場所は不明であるが、津之江には筑紫津の守り神であったともいわれる筑紫津神社が鎮座する。
H29‐5 野田樋 野田東
1丁目
寛政5年(1793)、檜尾川の下を伏せ越して右岸に流すための樋(野田樋)が設けられ、現在も修理改修を行いながら維持されている。
H30‐4 神峯山寺への道標(一番石) 三島江
1丁目12
柱本村出身で大阪の豪商・鴻池一族の養子となった赤松由永が、神峯山寺への参詣道に、享和元年(1801)から16基建立したうちの一番石。

 

ダウンロード用マップ

「高槻 まちかど遺産」(高槻市南部)マップ(PDF:439.7KB)

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