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4.高山右近と成合
戦国時代の有名な人物と高槻との接点を取り上げます。キリシタン大名の高山右近です。
高山右近は、天正元(1573)年、21歳ごろに高槻城主となり、城下町を整備する一方、20を超える教会を建設し、当時人口2万5千人のうち7割強がキリスト教信者であったと当時の記録にあります。
織田信長や豊臣秀吉ら天下人にも仕え、天正10(1582)年の明智光秀との山崎合戦では秀吉方の先鋒として活躍したことでも知られています。
春日神社の春祭り
市内の複数の神社や寺院に「右近の兵火に遭った」という右近の「焼き討ち」伝承があります。
伝承は、キリスト教が禁止された江戸時代に作られたもので、争いの多い戦国時代だけに史実は不明です。
寺院には、右近から土地の権利を保障された古文書も残っていて、寺社の破壊は、右近の信仰だけが原因ではないのかもしれません。
さて、成合の春日神社では、5月の例大祭に御輿(みこし)の担ぎ手が靴に巻く黄色い紐を「右近のキレ」と呼んでいます。元は、わらじが脱げないよう固定するもので、村の領主の右近にあやかって「お守り」のようなものになっています。ただし、呼び方は黄色の染料「ウコン」が転じた可能性も考えられています。
黄色い紐「右近のキレ」
また、かつての雨乞い神事の際にも、呪文に右近の名を唱えていたようで、古くから地域の人びとにとって右近は身近な存在であったようです。