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今の町並みと高槻城略史
高槻城は、南北朝期の入江氏の居館に始まります。永禄12年(1569)に和田惟政が城としての基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町屋を城内に取り込み本格的な城郭としました。
江戸時代、高槻城は北摂唯一の城郭として重要な役割を果たします。豊臣家が滅んだ大坂夏の陣から間もない元和3年(1617)、江戸幕府は高槻城を直接改修し、寛永13年(1636)ごろの城主・岡部宜勝は新たに出丸を設けました。そして、慶安2年(1649)には永井直清が長岡(京都府長岡京市)から入城し、明治時代に至るまで城は高槻藩3万6千石の譜代大名永井家の居城となります。デジタルミュージアム・高槻城3D映像は、この完成期の城郭を再現しました。絵図などの歴史資料や発掘調査成果を、現在の地理情報システム(GIS)などの空間データと重ね合わせています。
城は、明治7年(1874)に破却され、その後の市街地化の進展もあり、現在その痕跡を地上にみることが難しくなっています。今の町並みとおよその城郭の範囲を重ねあわせたものが下の地図です。