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15.王家の丘 弁天山古墳群
弁天山古墳群は、3世紀後半頃から、奈佐原丘陵(現在の南平台)に造営された岡本山、弁天山、弁天山C1号墳の3基の100m級の前方後円墳などで、麓の村々を見渡す三島を治めた王の墓として知られています。今から約60年前の名神高速道路の建設時と、その後の南平台の宅地造成工事を前に発掘調査が行われています。中でも弁天山C1号墳は、日本で初めて前方後円墳の全面発掘が行われ、三国時代の中国からもたらされた三角縁神獣鏡などの青銅鏡、銅製の鏃(やじり)、北陸産の碧玉製の腕輪形石製品や翡翠製の勾玉などの豊富な副葬品が見つかりました。
その後の調査により、奈佐原丘陵の西の尾根で未盗掘の石槨(せっかく)にたくさんの副葬品が残された闘鶏山古墳や、山麓に位置し、古市古墳群(羽曳野市・藤井寺市)の大王墓と似た鰭付円筒埴輪を有する郡家車塚古墳、5世紀の王者の棺と呼ばれる長持形石棺を持つ前塚古墳などの内容が明らかになり、弁天山古墳群の系譜を引く王の墓であることが分かってきました。また近年では、5世紀中頃に相次いで造られた、丘陵の奥のD2号墳(前方後方墳)とD4号墳(前方後円墳)が前塚古墳の後に続くことが分かりました。
このように、弁天山古墳群は200年近くにわたって地域の有力古墳が代々造られた墓域であり、500基以上の古墳が造られた三島において、その前半期を代表する古墳群です。
現在も弁天山古墳群には5基の王墓が保存されています。
(今城塚古代歴史館)
弁天山C1号墳の銅製の鏃